大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成8年(ネ)1609号 判決

控訴人

開田耕造

右訴訟代理人弁護士

神部範生

込山和人

被控訴人

住友海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

小野田隆

右訴訟代理人弁護士

松坂祐輔

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成七年八月二三日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文同旨

第二  事案の概要

一  本件は、控訴人が、被控訴人を保険者、控訴人を被保険者として締結したという控訴人所有の時計(パティック。原判決にいう本件時計)その他五点の動産を目的とする損害保険契約に基づき、本件時計の盗難事故(以下「本件保険事故」という。)を原因として、その保険価額に相当する保険金二〇〇万円の支払を求めている事案である。

二  当事者双方の主張は、当審における主張を次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示(原判決一枚目裏一二行目から二枚目裏末行まで)のとおりであるから、これを引用する。

1  本件保険事故の発生について

(被控訴人)

控訴人は、本件保険事故が発生したという平成五年八月二三日(以下「本件当日」という。)午後五時三〇分ころ、ベンツを走行中にエンジンが突然停止したため、社団法人日本自動車連盟(以下「JAF」という。)の係員を呼んだが、係員の渡辺浩がエンジンを掛けると、すぐに掛かったため、渡辺は、特に何もせず、バッテリーがあがるかも知れないので、エンジンを止めない方が良いと言って立ち去った、というのである。

控訴人は、その後、ベンツのエンジンを掛けたまま三時間近く路上に放置していた、というのであるが、右の状況をみれば、ベンツのエンジンが突然停止したという本件保険事故の発端それ自体が不可解である。

しかも、本件保険事故の直前に、ベンツのコンソールボックス内にあったという本件時計を目撃する機会のあった者は、JAFの渡辺と控訴人が立ち寄ったという株式会社東綜合設計事務所(以下「東設計」という。)の於保誠之の二名にすぎないところ、両名とも、コンソールボックス内の本件時計が在中したという紙袋を目撃していないのであって、本件当日、本件時計がコンソールボックス内に存在したということそれ自体も疑問である。

2  控訴人の重過失による免責について

(控訴人)

控訴人は、本件時計を紙袋(銀行の封筒)に入れ、これを縦に二つ折りにして、ベンツのコンソールボックス内に高速道路の通行券などと一緒に保管していた。

原判決は、控訴人が本件時計を「まさに人がこれを盗取するがままに任せた状態にしていた」と認定しているが、ベンツには、本件当日、看守者はいなかったとはいえ、エンジンを掛け放しにしていたのであるから、一般的には、運転手が短時間で戻ることが予想され、人がベンツの車内から何かを盗取しようとしても、そのことに抑圧的に作用するはずである。しかも、控訴人は、ベンツを駐車した道路の反対側にある東設計の二階の窓から約三〇分毎にベンツの様子を確認していたのであって、原判決の判示するように「人がこれを盗取するがままに任せた状態」にしていたわけではない。また、原判決は、控訴人が本件時計を無造作に放置していたとも認定しているが、ベンツの外部から本件時計がコンソールボックス内にあることなど容易に分かる状況ではないうえ、本件当日は夜間であったため、コンソールボックス内の様子は全く分からず、ベンツの修理に赴いたJAFの渡辺も、ベンツの車内で仕様書を探したというのに、紙袋の存在に気がついていないほどである。さらに、本件保険事故が発生した現場は、特に本件当日の時間帯では、JR中野駅からの乗降客がかなり通行する場所であって、人がベンツの車外から懐中電灯などでコンソールボックス内の本件時計又は紙袋を現認したうえで盗取に及んだという可能性はなく、控訴人がコンソールボックス内に本件時計を保管していたこと、そのコンソールボックスに蓋がなかったことは、いずれも本件保険事故について控訴人に被控訴人主張の重過失を認めるべき事情ではない。

控訴人は、JAFの渡辺の指示でベンツのエンジンを掛け放しにしていたが、一般的にスペアキーを持ち歩かないように、控訴人もスペアキーを所持していなかったため、ベンツのエンジンを掛け放しにしたまま、ドアに施錠することができなかったのであって、この点も、控訴人に被控訴人主張の重過失を認めるべき事情ではない。

(被控訴人)

仮に本件保険事故の発生が認められるとしても、控訴人の本件時計の保管状況及び本件保険事故にあったという際の状況によれば、控訴人は、ベンツの車内に第三者が出入りすることができる状況になっても、本件時計を自己の直接の管理下に置かず、また、本件時計を置いていたというベンツを二時間も路上に放置していた、というのであって、原判決の判示するように「まさに人が盗取するがままに任せた」ものというべきである。

そもそも、二〇〇万円もするという高価な本件時計を施錠もしない自動車内に放置するというようなことは、一般的にはあり得ないことであって、仮に控訴人が本件時計の在中した紙袋をコンソールボックスに入れて置いたとしても、第三者の出入りなどが予想される事態に至った以上、これを自己の所持する鞄又はスーツのポケットなどに入れて保管し直すのが当然で、かつ、それは、本件時計の保全措置として極めて容易に行い得ることである。

控訴人が、本件保険事故に際して、右のような保全措置を講じていないことに照らしても、本件保険事故の発生については、控訴人に被控訴人の免責が認められるべき重過失があることは明らかである。

第三  証拠

証拠関係は、原審記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  被控訴人と控訴人との間で、本件時計その他五点の動産を目的とする損害保険契約が締結されたことは、当事者間に争いがない。

二  本訴請求の当否

1  原審における控訴人本人の供述によれば、本件保険事故は、次のとおりの経過で発生した、というのである。すなわち、

(一)  控訴人は、本件当日の何日か前から本件時計が遅れるようになったため、銀座の時計店に修理に出そうと思い、紙袋(銀行の封筒)に入れ、これをベンツの蓋のないコンソールボックスに入れて置いた。

(二)  控訴人は、本件当日、ベンツを運転して東設計に赴いたが、同社に着く少し前に、辺りが暗くなってきたので、ライトを点けたところ、急にバッテリーがあがってエンジンが停止してしまった。

(三)  そこで、控訴人は、その場から歩いて東設計に行き、同社の社員にベンツの後を押してもらい、同社の近くの道路の反対側にベンツを駐車させたうえ、携帯電話でJAFに連絡し、ベンツの修理を依頼したが、東設計と設計の打合わせをする用事があったため、ベンツのドアに施錠し、その鍵を東設計の於保に預けたうえ、JAFとの対応も於保に任せ、東設計において、右の打合わせに当たることにした。

(四)  控訴人は、その後、於保から、バッテリチャージが終わったが、JAFの係員がエンジンを暫く掛け放しにしておくように言っていると聞き、於保に対し、そのようにしておくよう指示したが、東設計との打合わせが終わるまで設計のことで頭が一杯で、ベンツを路上に駐車させていたことも本件時計のことも忘れていた。

(五)  控訴人は、本件当日午後九時ころ、東設計との打合わせが終わったので、ベンツを運転して高井戸方面に向かったが、運転してから一〇分くらい経って、コンソールボックスに入れて置いた紙袋がないことに気づき、携帯電話で一一〇番通報をしたところ、近くの交番で被害届を出すようにと言われたので、高井戸の交番に被害届を出した。

2  本件は、動産の盗難被害を保険事故とするものであって、その態様ないし性格上、当該動産が現に存するのか否か、また、それが現存しないとして、その原因が盗難によるのか、紛失又は遺失によるのか、それとも、その他の事由によるのかについても、例えば、これを盗取したという者がその事実を明らかにしているような場合はともかく、これを容易に証明することが困難な事案であるところ、本件における直接の証拠資料も、本件時計の盗難被害に遇ったという控訴人の供述があるだけである。そこで、控訴人の供述のみから直ちにその主張事実を認定することができるのか否か、その供述を裏付けるに足りる証拠が存するのか否かなどについて検討することとする。

(一)  控訴人が本件当日、ベンツを走行中にエンジンが停止するという事故に遇ったことは、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六ないし第八号証によってもこれが裏付けられ、ベンツの右事故があったことは否定することができない。

(二)  しかし、本件当日、ベンツのコンソールボックス内に本件時計が在中していたという紙袋(以下「本件紙袋」という。)があったのか否かについては、ベンツの前記事故に際して、ベンツを移動するのを手伝うなどした東設計の於保及びベンツの修理に赴いたJAFの渡辺がこれを目撃し得る機会を有していたところ、前掲乙第六ないし第八号証によれば、両名とも、その存否に気がついていないことが認められ、控訴人本人の供述の外には、本件当日、ベンツの前記事故の際、そのコンソールボックス内に本件紙袋があったとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  また、控訴人の前記供述によれば、本件時計が遅れるようになったのは、本件当日の何日か前で、本件時計は、本件当日の二、三日前から高速道路の通行券などと一緒にコンソールボックス内に入れて置いたというのである。そうすると、もしも、控訴人が、本件当日、本件時計を修理に出すために銀座の時計店に赴こうとして、その途中、東設計に立ち寄ったというのであれば、本件紙袋の存在を確認しているはずであるが、その際、確認をしたような事実を認めるに足りる証拠はない。また、東設計との打合わせが終わったのは、午後九時ころであったというのであるから、本件当日に銀座の時計店に赴く予定であったのであれば、東設計との打合わせの間、当該時計店の営業時間が気になるのが普通であるのに、その心配をした形跡もない。

(四)  控訴人の原審における主張では、本件時計は、銀座の時計店で修理する心算でコンソールボックス内に入れて置いたが、東設計を出てから、ふと気になってコンソールボックス内を調べたところ、本件紙袋がなくなっていたというのであって、本件当日、本件紙袋がなくなったのか、それとも、本件紙袋をコンソールボックス内に入れてから本件当日までの間にこれがなくなっていたのかも定かではない。また、控訴人は、警察に被害届を出した後、自宅内を探したが見当たらなかったとも主張しているが、念のために探したものであるとしても、ベンツが前記事故を起こした際、コンソールボックス内に本件紙袋があったことを確認していたのであれば、自宅内を探すのは不自然で、かえって、それは、本件当日、控訴人が本件紙袋の存在を確認していなかったことを窺わせるものといわなければならない。

3 以上説示したところによれば、本件保険契約を締結した際に控訴人が所有し、かつ、当該保険の目的となっていた本件時計が現存しないとしても、控訴人本人の前記供述をもってしては、その現存しないという原因が控訴人主張の本件保険事故である盗難によるものであったと認めるには十分でないといわなければならない。また、他に控訴人本人の前記供述を裏付けるに足りる証拠もないから、結局、控訴人の右主張事実を認めることは困難であるといわざるを得ない。

したがって、控訴人の本訴請求は、その余の点について審究するまでもなく、その理由のないことが明らかであるから、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は、その結論において正当であるといわなければならない。

三  よって、控訴人の本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 小林亘 裁判官 滝澤孝臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例